スタジアムがさすがにざわついた。湘南ベルマーレ戦で負傷退場したセンターバック(CB)の渡邊泰基に代わり、横浜F・マリノスの最終ラインに投入されたのは身長170cmの不動のボランチ、喜田拓也だったからだ。最下位にあえぐ苦境で、横浜FMの大島秀夫監督がキャプテンに託したタスクを追った。
 意外な背番号が、交代を告げるボードに表示された。CBの渡邊が敵地・レモンガススタジアム平塚のピッチ上に座り込み、プレー続行が不可能となった6月28日のJ1リーグ第22節・湘南戦の後半25分。横浜FMを率いる大島監督が、渡邊に代えて送り出したのは「8番」の喜田だった。
 身長を比べれば、渡邊の180cmに対して喜田は170cm。ベンチでは渡邊が座り込んだ直後から、MF登録ながらCBでのプレー経験も豊富な188cmの山村和也が準備を整えていた。インドネシア代表に名を連ねる183cmのサンディ・ウォルシュも控えている。それでも喜田がCBに指名されたのはなぜなのか。
 横浜FMで不動のボランチを担ってきたキャプテンを、CBで起用した理由を大島監督が説明した。
「キー坊(喜田)は誰もが知るマリノスの象徴ですし、キー坊がピッチに入った時の影響力をまず考えました。同時に非常に賢い選手なので、ラインコントロールや守備への対応、ビルドアップ時におけるポゼッションも落ち着いてプレーしてくれると確信していたので(CBで)起用しました」
 喜田は右CBに入り、同じポジションで先発していたオーストラリア代表のトーマス・デンが、渡邊がプレーしていた左CBに回った。20分あまりのプレータイムを、喜田はこんな言葉で振り返っている。
「僕は通常のセンターバックより身長もないですし、センターバックが本職の選手と比べれば、身体能力という面で足りないのも分かっている。だからこそ事前の準備とか、身体の向きとか、相手よりも一歩先に出るとか、そういった細かいところが大切になってくるし、そこに身体の大きさは関係ないと思っている」
 前後左右に首を何度も振りながら、味方に対して絶えず大声をかけ、強気にラインをコントロールし続けた。喜田は「もちろん怖いですよ」とハイラインへの正直な思いを明かしながら、こんな言葉を紡いでいる。
「それでも、そこで勇気をもってラインを上げないとチーム全体が前へ行けない。その意味でも強気なライン設定もそうですし、ポジショニングやリスク管理のところでも、前の選手に対して誰が相手のどこを掴む、どこにポジションを取る、と声をかけるのが足りなかった部分でもある。前の選手たちを動かしてあげれば、こちらの2次攻撃にもつながりやすい。そういったところを、自分としては意識してプレーしていました」
 喜田が投入された時点で1-1だった試合は、後半40分に動きかけた。右サイドを突破した横浜FMのFW井上健太が、ファーサイドへ絶妙のクロスを上げる。走り込んできたFW宮市亮が頭を合わせるも、ヘディングシュートは枠を捉えられなかった。
 そして、この決定機をさかのぼっていくと、喜田の落ち着いたプレーに行き着く。
 湘南のクリアを、ハイラインに伴って高いポジションを取っていたGK朴一圭が拾って前へつなぐ。しかし、蹴り損ねたボールは高く上がり、右タッチライン際の自陣へ落ちてくる。真っ先に反応したのは喜田。その直後、トラップ際を狙おうと湘南のFW根本凌、FW小田裕太郎がはさみ込む形で迫ってくる。
 喜田はタッチラインを向いた体勢から、落ちてくるボールを右太ももで柔らかくトラップ。すかさず身体を反転させると、根本と小田の間を縫って横パスを通す。ボールはセンターサークル内にフリーでポジションを取っていた渡辺皓太へ渡り、渡辺のロングパスを受けた井上が完璧なクロスを上げた。
 喜田が投入されてからは、湘南にほとんどチャンスを作らせていない。唯一のピンチは、後半アディショナルタイムに小田に打たれたシュートだったが、それも朴がしっかりと反応してキャッチした。大島監督が求めたラインコントロールやビルドアップへの関与に加えて、喜田が横浜FMに与えた最大の変化が「声」だと朴が声を弾ませた。
「キー坊が入ってきて、本当によく喋ってくれた。ディフェンスラインの上げ下げはすごく大切で、そこにはコーチングが絶対に欠かせないんですけど、これをできない選手が結構多い。これをキー坊が自分と一緒にやってくれたおかげで、例えばトミー(トーマス・デン)の思い切りの良さがより出てきた。後半に押し込んだゲームができたのは、キー坊がしっかりとコーチングしてくれたのが一番大きかったんじゃないかと」
 キックオフ前の時点で、横浜FMは公式戦で4連敗を喫していた。天皇杯2回戦でJFLのラインメール青森FCに大金星を献上し、3連敗中のリーグ戦では依然として最下位から抜け出せていない。怪我人も続出し、いつしか自信も失われつつある苦境で、大島監督は喜田のCB起用を介してチームにメッセージを届けた。
 今後もCBで起用されるかどうかは分からない。それでも、後半終了間際にMF小野瀬康介に上げられたクロスを、ゴール前で184cmの根本と競り合った喜田は先に巧みにポジションを取り、根本に身体をぶつけて空中を飛ばせなかった。このプレーも含めて、横浜FMへ熱い思いを送り続けたと試合後に明かした。
「ああいったところ(クロスの場面)をもっと詰めていけば失点も減っていくし、普段やっているようなプレー、勇気をもって前へ行くところはもっと強気にやりたかった。みんなも頑張っていたのは分かるけど、例えばトミーも相手にいい体勢で蹴られた時には下がればいいし、逆にいい体勢じゃなければ強気にラインを設定していい。そうすれば今日の後半のように前へ出ていきやすくなる。すべて正解とは思わないけど、相手にかけるプレッシャーというものは間違いなくあるし、さらに前の選手たちの距離感が縮まってプレスに行きやすくなるシーンも出てくる。そこは勇気をもって、うしろの選手たちが押し出してあげたい」
 試合は1-1で引き分け、横浜FMは6月の公式戦を1分4敗の未勝利で終えた。それでも「試合後に前の選手から『すごくやりやすかった』という声をもらった」と明かした喜田は、努めて前を見据える。
「もちろん勝ちたい。少しずつだけど前進しているところもあるし、まだまだ足りないところもあるなかで、自分たちがどのように進んでいくのかが一番大事だと思うので、そのためにはポジティブに、前向きにという姿勢は間違いなく求められてくる。僕も含めて、細かいところがこれからの勝負を分けてくると思っている」
 次節は7月5日。横浜FCのホーム、ニッパツ三ツ沢球技場で“横浜ダービー”に臨む。喜田が力を込める。
「対戦カードとしてすごく意味があるというか、自分たちがこの一戦をものにすれば、すごく勢いづくタイミングでもあると思うので。その意味をしっかり理解して、みんなでいい準備をしていきたい」
 折り返しをすぎたリーグ戦は残り16試合となり、残留圏となる17位の湘南との勝ち点差は8ポイントと開いている。鹿島アントラーズと並び、オリジナル10で一度もJ2降格を喫していない名門・横浜FMが巻き返しへ転じていくうえで、湘南戦で喜田が示し続けた「覚悟」と「勇気」がキーワードになっていく。


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