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埼玉・春日部市にあった駅から徒歩10分の人気ラーメン店。昼時はサラリーマンでにぎわい、しょうゆラーメンをすすっていた。佐藤兄弟の父が営んでいた店は寿人が小学6年生の時に手放すことになる。ジュニアユース入団が決まったからだ。父はマンションとラーメン店を売り払い、家族で千葉・八千代市に引っ越し。2階建ての一軒家を購入した。
寿人はなぜ千葉にあるジュニアユースに入団したのか。
「昔は中学の部活動と言えば1年生は球拾い、という時代だった。そのなかで父がせっかくサッカーをやるのに1年間を棒に振るのはもったいないと。いいところがないか調べてみると言ってくれて動いてくれた」
調べると言っても当時はインターネットが普及しているわけでもなかった。父はJリーグ開幕前年の92年、ジェフの育成がテレビで特集されているのを見ていた。そこで、直接クラブへ連絡を入れてセレクションの日程を聞いた。だが、案内された一般のセレクションは年末から年明けにかけての中学生になる“直前”。「うちは埼玉なので間に合わない、と。完全にこっち側の都合なんですけどね(笑)」。父は聞いた。「ちょっと見てもらえないですか」。直談判にクラブも根負け。夏に特別のセレクションが開催された。数人で練習参加をして、寿人の合格が決定。家族での千葉行きも決まった瞬間だった。
ラーメン店を畳んだ父は食料品を扱う会社に就職。だが、寿人がユースに昇格したころ、会社の社長が資金を持ち逃げして倒産。一気に家計が苦しくなった。さらにユースでは夏にオランダ遠征が控えていた。費用50万円。スーパーの正社員に転職していたが、給料は約3分の2になっていた。高額の出費に父は頭を抱え、寿人には内緒で義兄に頼み込んでお金を借りた。
「父も母も僕らのサッカーの環境を作るために苦労したと思っていた。サッカーをしなければお店は順調だったと思うし、お金も貯まっていただろうし……。父が転職した時もちょうど景気が悪かった時期。普通の転職とはわけが違った。佐藤家としてはしんどい時期だったけど、両親からはそんな感じが全くしなかった。双子だからかかるお金も2倍だし」
引っ越した地域は団地がある学区だった。それでも父が一軒家を購入したのには理由があった。庭と駐車場でボールが蹴られたからだ。毎日練習できる寿人の姿を見るのが父の楽しみの1つでもあった。
「父が団地じゃなくて、一戸建てにしてくれてボールを蹴る空間ができた。家の前でコーンを置いてステップワークしたり、走るトレーニングしたりすることができた」
双子の寿人・勇人に寄り添い、陰で奔走してくれていた両親。プロ生活を20年以上続けられたのも幼少期から支えてくれた両親の思いがあったから。「本当にありがたかったですね。(自分が)父の立場としても凄いな、と。相当強い」。父へ、母へ、周囲のみんなへ――。感謝の気持ちは今もなお原動力になっている。
[PROFILE]佐藤寿人(さとう・ひさと)/1982年生まれ、埼玉県春日部市出身。元日本代表MF勇人は二卵性双生児の兄。ジェフユナイテッド市原ジュニアユースから2000年にトップ昇格。年代別代表も経験し、セレッソ大阪、ベガルタ仙台と渡り歩いて2005年にサンフレッチェ広島へ移籍。12年に森保一監督率いたクラブが史上初の優勝を達成した。13年に連覇、15年にはJ1通算トップタイの157得点を記録し、3度目のJ1制覇に導いた。2017年に名古屋グランパスへ移籍、19年に千葉へ復帰して、20年シーズン限りで現役を引退した。歴代最多のJリーグ通算220得点。国際Aマッチ31試合4ゴール。
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