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サッカーに関する移籍・引退・試合結果など

      ロシア大会を褒められると心が痛む。岡崎慎司の目標は、36歳でW杯。

       ワールドカップが終わり、1カ月あまりが経った。欧州各国リーグも次々と新シーズンを迎えている。
       そんななか、プレミアリーグも開幕したが、岡崎慎司は戦線に復帰していない。ワールドカップで痛めた怪我のリハビリは現在も続いている。
       岡崎にとって3度目となったロシアW杯。3大会連続ゴールこそ達成できなかったが、グループリーグ3試合に出場した。特に第2戦のセネガル戦では、岡崎らしく前線で身体を張った。
       本田圭佑の同点弾は、ゴール前中央で岡崎が相手選手ともどもつぶれたからこそ生まれた。
      「『圭佑のゴールは、岡崎のゴールだよ』と周りに言われるたびに心が痛い。ほめてもらえるのはうれしいし、僕を励まそうと言ってくれているとは思うけど、同時にフォローされているような気がして……。自分が100%だったら、と何度も思ってしまう。『怪我を抱えながらも、よくやった』というこのままの印象で終わりたくない。だから、ロシア大会が終わったときに自然と『4年後やな』と思った。自分の挑戦はこれじゃ終われない」
       大会後に短いオフを終えて日本を離れる7月下旬、岡崎はそんなふうに語った。森保一新監督の就任が決まり、新たなスタートを切った日本代表が目指す4年後のカタール大会。岡崎は心機一転、次のワールドカップへの挑戦を心に誓った。
      負傷を繰り返し、W杯でも……。 今年の岡崎は2月上旬に負傷離脱。一度は試合復帰したが、再び戦列を離れた。その間に就任した日本代表の西野朗監督(当時)は岡崎を信頼して、本大会メンバーに選出する。本番までに負傷が癒えるという確信を持ち、回復も進んでいたのだろう。
       だが、6月12日のパラグアイ戦で岡崎はまたもや怪我を負った。指揮官はそれでも岡崎をメンバーに残し、大会初戦、第2戦と途中出場で投入した。
       そして先発した第3戦のポーランド戦。岡崎にとって最大のチャンスは負傷交代に終わった。岡崎のワールドカップは実質この時点で終わっていたのかもしれない。

      掲載元:サッカー日本代表 - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/831689

      ネイマールはパリが大好きだが……。PSGファンが彼を嫌いな多くの理由。

      『フランス・フットボール』誌8月7日発売号は、リーグアンの開幕を特集している。シーズンの展望やルイス・グスタボ(マルセイユ)のインタビューなどに続いて、取り上げられているのがリーグアン最大のスター、ネイマールである。
       移籍から1年が経過した今でも、ネイマールとパリ・サンジェルマンの関係は、いまだ想い描かれたような良好なものになっていない。まるで王様のように傍若無人に振る舞うネイマールと、それを苦々しく思いながら見つめるメディアとサポーター――いったいネイマールの何が問題なのか? 
       パルク・デ・プランスの観衆と直接の関係を持つ各メディアのPSG担当者たちを、クリストフ・ラルシェ記者が取材した。
      監修:田村修一
      ネイマールはPSGの手に余る選手!? インタビューはそれぞれの編集部にほど近いカフェでおこなわれた。レモネードやソーダ、オレンジジュースなどの飲み物を前に、彼らはほぼ同様の反応を示した。その言葉はPSG関係者たちと同様にネガティブな表現に溢れていた。
      「ネイマールはファンと親しくなるための努力をしていない」
      「クラブは彼を依怙贔屓しすぎている」
      「試合であまりに安易に倒れすぎる」
       不満はどれもシリアスで、肯定的なコメントはほとんど聞かれなかった。裏側に透けて見えるのは、「ネイマールはPSGというクラブにとって大きすぎる存在なのでは?」という疑問である。

      掲載元:海外サッカー - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/831741

      ラウール、バルデスが育成指導者に。いつか監督として再び大舞台へ。

       8月は始まりの月だ。
       1部から3部までの全国リーグで戦うチームは新シーズンに臨み、地域リーグや年代別カテゴリーに属するチームは9月の開幕に向けて本格的に始動する。
       選手のなかにはチームを変えて新しいサッカーを始める者もいるし、新しいキャリアをスタートさせるスタッフやコーチもいる。
       8月下旬、マドリード市内で行われた育成年代の大会では、元R・マドリーのラウールと元バルセロナのビクトル・バルデスが監督デビューを果たした。
       スペインサッカー協会内の一機関である国立指導者学校には年間予定には入らない特別コースがある。
       講義と実習の修了に通常205時間を要するUEFA“B”ライセンス(1部所属クラブのBチームと2部所属クラブの指導が可能)と、同様に475時間を要するUEFA“A”ライセンス(16歳までのユースチームおよび地域リーグ所属クラブの指導が可能)を、6週間の240時間でまとめて取得するためのものだ。
      人々が驚いたバルデスの監督志望。 対象は「1部リーグでプレーした期間が8シーズン以上あるいは出場試合数が150以上」「代表招集5回以上」「EUROで優勝」「W杯で優勝」「五輪で優勝」のいずれかを満たす元選手で、開講は希望者が7人以上集まったときのみとされている。
       ラウールとバルデスはその“希望者”に名を連ね、今年の4月18日から実施された同コースに他の14名と一緒に参加して、くだんのライセンスを取得した。
       昨季R・マドリーに戻り、ペレス会長の側近となってジダンと同じ道を歩み始めたラウールにとっては然るべきステップといえよう。
       一方、バルデスの監督志望は多くの人を驚かせた。
       3年前、夫人の母国コロンビアのテレビ番組の取材を受けた際、次のように語り、話題となったからだ。
      「(ビッグクラブの)サッカー選手は一から十まで御膳立てされる非現実的な世界で生きている。でも俺は膝に重傷を負ったおかげで普通の生活に戻ることができた。数年ぶりに小銭を触り、自分でコーヒー代を払って……。名声は要らない。有名でいたくない。いつか灯りが消えるときがきたら、その後は誰にも見つけられたくない」

      掲載元:海外サッカー - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/831747
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