リバプールのキャプテンには、不屈の男がよく似合う。
 マドリードのワンダ・メトロポリターノで最初にビッグイヤーを掲げる栄誉を得たのは、ジョーダン・ヘンダーソンだった。
 先代のキャプテンで、14年前の「イスタンブールの奇跡」でチャンピオンズリーグのトロフィーを掲げたスティーブン・ジェラードも客席で見守るなか、栄光の証を天高く突き上げる際にはいつもの精悍な顔つきに戻っていたヘンダーソンだったが、2-0で試合が終わるホイッスルが鳴った直後は、涙があふれて止まらなかった。
諦めないキャプテンが男泣きした。 ユルゲン・クロップに抱きかかえられながら、重圧から解放されたように、リバプールの主将は男泣きした。
「このフットボールクラブの一員であることを誇りに思う。キャプテンを任されていることは僕にとって特別だ。どんな時でもベストを尽くし、どんなことをしてもチームを助けようと思ってきた。僕はきつかった時期も過ごしたが、やり続けた。このクラブがそうであったようにね」
 そう語ったヘンダーソンは、リバプールというクラブを体現するような、何事も決して諦めない不屈の男だ。
 彼が言う「きつかった時期」とは、おそらく2011年にサンダーランドからリバプールへと移籍してきてから、最初の2~3年のことを指す。2000万ポンドの移籍金で、期待の若手としてクラブに迎え入れられたが、移籍当初は期待に応えることができなかった。
 正確なキックや高い技術は持っていたが、「それだけ」の選手と言われることが多かった。「5ヤードの横パスしか出せない」平均的な選手とみなされ、「移籍金の無駄遣い」と叩かれた。


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掲載元:海外サッカー - Number Web
URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/839541