「私は何度か日本を訪れているけれど、家族は今回が初めてなんだ。みんなでこの素晴らしい国を見て回るには、桜の舞う今が最高の時期だと思ってね」
 朗らかな春の午後、プライベートで東京を訪れていたサブリ・ラムシ氏は来日の理由をそう語った。現役時代にはパルマで中田英寿と共にプレーし、引退後はコートジボワール代表監督としてブラジルW杯で日本と対戦──当時のアルベルト・ザッケローニ日本代表監督には、インテル時代に師事──するなど、この元フランス代表MFは何かと日本と縁がある。
 中田氏がプロデュースする「CRAFT SAKE WEEK 2019」を訪れた翌日、ラムシ氏本人の厚意によりインタビューが実現した。
元同僚の中田は「親友」。──パルマでは元日本代表MF中田選手と2シーズン、共にプレーしました。あなたにとって、彼はどんな選手で、どんな人物でしたか?
「私にとって、ヒデはひとりの選手以上の存在だった。ひとことで言えば、親友だね。(2001年に)彼がパルマに来る前から、すごい選手だということは知っていたよ。彼は前所属先のローマで、スクデットに貢献している。あの頃のローマは本当に厄介な相手だった。ヒデのほかにも、フランチェスコ・トッティやガブリエル・バティストゥータなど、ワールドクラスを何人も揃えた強力なチームだった。
 ヒデは豊富な経験、違いを生み出せる技術、広大なビジョンを備えたファンタスティックな選手だったね。それから日々を共にするうちに、彼の人間性もわかっていった。美しい心と聡明な頭脳を持つ寛大な男だと。そんな彼と親しい友人になれて、私は誇らしいよ」
──当時は欧州でプレーするアジア人選手が少なかった時代です。そんななか、中田選手がイタリアであれほど長く活躍できたのはなぜだと思いますか?
「まず彼は自己管理を徹底していた。真のプロフェッショナルだったよ。パルマではいつも最初に練習場に現れていたし、身体のケアも怠らなかった。だから怪我が少なかったんだと思う」
──パルマ時代の中田選手のパフォーマンスで、もっとも印象的なものを挙げるとすれば?
「(2001-02シーズンの)コッパ・イタリア決勝のユベントス戦だね。敵地での第1戦で2点を先行されたのだが、終了間際にヒデがゴールを奪った。そして第2戦で1-0の勝利を収めて、私たちが優勝したんだ。つまりあのアウェーゴールが決勝点だったというわけだね」
──中田選手はユベントス戦に強かった印象があります。
「そうだね。でもユベントス戦だけでなく、どんな試合でも頼れる仲間だった」


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掲載元:海外サッカー - Number Web
URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/839257