ボールを運ぶも取られ、仕掛けては奪われ、削られた。それでも、10番は折れなかった。再びドリブル勝負を挑む。何度も何度も……。
 良く言えば愚直。悪く言えば無謀。
 それが、2016年1月にカタールで開催されたリオデジャネイロ五輪出場を賭けたU-23アジア選手権の準々決勝・イラン戦で見せた中島翔哉の背中だった。
 あれから3年――。同じエースナンバーを背負って再びカタールに舞い戻った。
 2月28日の移籍後3試合目で初ゴール。アル・ドゥハイルの中島は角度のない右サイドから放った弾丸を逆サイドネットに突き刺した。「愚直」は「狡猾」に、「無謀」は「勇敢」に色を変えた。頭脳と技巧と度胸が絶妙にピッチ上で絡み合っている。
コーチさえも進言した「中島、交代」「これは代えた方がいい。いや、代えるべきだろう。なんで代えないんだ」
 時計の針を再び'16年1月の準々決勝に巻き戻す。
 イラン戦のハーフタイム。筆者は記者席で確かに口にした。恥ずかしい話だが、この予測は大外れ。でも、正直な感想だった。
 負ければ6大会連続の五輪切符を失う一戦。U-20W杯にたどり着けず、「世界を知らない世代」と揶揄されたチームにとって、どうしても超えられなかったアジア8強の壁でもあった。
 前半。21歳の中島はイランの右サイドバック、アブドラザデにことごとく侵入を阻まれた。完敗――。誰の目にも明らかだった。前半終了間際、コーチ陣が手倉森誠監督(現J2長崎監督)に交代を進言したという。
 だが、指揮官の焦点、視点は違った。敵、相手をよりつぶさに観察していた。中島がプレーする日本の左サイドはベンチ前だった。手倉森は今でも鮮明に記憶のひもを解く。


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掲載元:サッカー日本代表 - Number Web
URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/838528