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サッカーに関する移籍・引退・試合結果など

      森保U-21のエース候補、上田綺世。「得点能力は誰にも負けたくない」

       国際舞台でマークした3ゴールという結果は、上田綺世(うえだ あやせ/法政大)の心を満たすものではなかった。
       準優勝に輝いたアジア大会を終えたとき、上田に芽生えていたのは、たしかな自信ではなく、足りないものを身につけたいという強い欲求だった。
      「力不足を感じましたね。それは優勝できなかったからとかじゃなくて、自分の中で欲が芽生えたというか。もっと速く動きたいとか、もっと強くなりたいとか、自分に物足りなさを感じました」
       鹿島学園高時代は10番を背負って高校選手権に出場し、法政大1年の昨年は関東大学リーグで12ゴールをマーク。今では“大学ナンバーワン・ストライカー”との呼び声も高いが、これまでは決して脚光を浴びる存在ではなかった。
       昨年12月、東京五輪代表の立ち上げとなったタイ遠征に招集されたが、代表と名の付くものに選ばれたのは、このときが初めて。「大学選抜はありますけど、国体のメンバーとかにも入ったことがない。(メンバーの)ほぼ全員と初対面」(上田)という状態だったのだ。
      「大学生なので、プロに負けたくない」 だが、タイ遠征で2ゴールをマークして森保一監督の評価を勝ち取ると、負傷のために選考外だった1月のU-23アジア選手権を除き、3月のパラグアイ遠征、5月のトゥーロン国際大会、そして今大会とコンスタントに招集されてきた。
      「ベンチスタートの自分が途中から出たときに何ができるか、何をしないといけないのか、考えながら試合を見ていた。グループリーグでは多くのシュートを打ったけど点を取れなかった。
       国を背負って戦う選手として、決めなきゃいけないし、結果には絶対にこだわらないといけない。自分は大学生なので、プロに負けたくないという気持ちがある。やっぱりこういった経験が大事で、絶対に何かを持ち帰ろうという強い気持ちで毎回臨んでいるので、この試合でまたひとつ成長できたと思う」
       上田がそう力強く語ったのは、今大会初ゴールを奪ったラウンド16のマレーシア戦後のことである。

      掲載元:サッカー日本代表 - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/831777

      浅野拓磨が忘れない2つの約束。本田の魂、ランゲラックとの再会。

       ジャガーが約束を果たすため、再スタートを切った。
       浅野拓磨。23歳。ロシア・ワールドカップでは、井手口陽介とともにバックアップメンバーとしてチームに同行。先輩たちに思いを託し、逆に日本代表の未来を託されたストライカーは、「サランスクの奇跡」と呼ばれたコロンビア戦勝利の翌朝('18年6月20日)、カザン空港にいた。
       歓喜の瞬間を輪の外から見届けた後、チームから離脱。この苦い味を絶対に忘れない――。自分の心に碇でも下ろすかのように言った。
      「日本が勝利したことは何よりうれしかったし、喜びが一番にきたというのは正直なところ。それと同時に、ああいう姿を見ると悔しさが沸々わいてきた。今感じているのは、『絶対に次のW杯は出なくちゃいけない』という強い気持ち」
       その目はギラギラと磁気を放っているようだった。一方で託した思いもあった。
      「なによりも日本を代表しているメンバーなんだという自信を持って全力で戦ってほしい」
      先輩が背中で語る至高の時間。 日の丸を背負う誇り――。リオデジャネイロ五輪では託され、ロシアW杯では託した。ただ、それだけではなかった。
       バックアップメンバーの立場であるため、紅白戦に入れないこともあった。自身の練習強度は減る。事前キャンプ、W杯直前まで居残りトレーニングが日課だった。そこには、「おっさん」と呼ばれた先輩たちが背中で語る“至高”の時間が存在した。浅野は言った。
      「練習が終わってもひたむきにシュートを打ち込んでいる姿だったり、走っている選手がいたり、ジムでトレーニングしている選手がいたり。海外でプレーして自分なりに(トレーニングを)やってきたつもりでいましたけど、そういう姿を見てまだまだだな、自分はまだまだ未熟だなと感じました」

      掲載元:サッカー日本代表 - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/831800

      スポーツを通じて女性に真の自由を!パキスタンの女子サッカー最前線。

       先ごろ終了したアジア大会(ジャカルタ・パレンバン)で、パキスタンは4つの銅メダルを獲得した。うちひとつは空手の女子68キロ級で、イスラム教の宗教色が強いこの国で、女子スポーツも健全に成長していることを示している。
       とはいえその内実はどうであるのか。『フランス・フットボール』誌8月21日発売号でポリーヌ・オマンビイク記者がリポートするのは、いまだヴェールに包まれたパキスタンの女子サッカー事情である(ちなみにアジア大会には、男子チームは出場したが女子は不参加)。
       女子がサッカーをプレーする。そのためにサッカークラブを作る。何の変哲もないごく一般的な行為が、それだけで社会を変える原動力となる。女子がサッカーをすることで、伝統的な因習やものの考え方が変わり、社会が男女同権の方向へと進んでいく。オマンビイク記者が伝えるのは、そうしたスポーツの枠を超えたサッカーの力であり、サッカーを媒介とした社会変革の様子である。
      監修:田村修一
      彼女の武器は、爆弾じゃなくボール。 これまでパキスタンについてはきわめて曖昧なイメージしか抱けなかった。だがそれでも少しずつ国が開かれつつある。それもサッカーのおかげで。今やサッカーは、女性解放と男女同権の確立のための最大の武器となったのだった。
       サディア・シェイキこそがパイオニアだ。
       社会を変えるべく伝統と偏見に敢然と立ち向かう、行動する女性のひとりである。
       この15年というもの、彼女は様々な政治的圧力と反動政策で反時代的なイメージの強いパキスタンで、女性の権利拡大のために戦い続けてきた。
       彼女が最大の武器として利用したのがサッカーだった。
       サッカーこそは最も非暴力的な闘争手段であり、ボールという爆弾と戦場としてのピッチが、彼女が不平等や原理主義と戦うための武器であり舞台であった。

      掲載元:海外サッカー - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/831803
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