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      U-20W杯を狙う守護神の厳しい競争。第3GKの若原智哉は涙を堪えて……。

       非常に気丈だった。取材している筆者ですら心を揺さぶられるほどに――。
       AFC U-19選手権グループリーグ第3戦・イラク戦後のミックスゾーンでのこと。GKの若原智哉(京都サンガ)は、取材をしていた筆者の呼びかけに足を止め、真摯な態度で質問に答え続けてくれた。
       この試合、日本はその前の2戦で連勝し、すでに決勝トーナメント進出を決めていた。初戦の北朝鮮戦、第2戦のタイ戦は、GKとして谷晃生(ガンバ大阪)がスタメンフル出場を果たし、いわゆる「第1GK」の座を確定させていた。つまり、この3戦目のイラク戦に出場する選手が“現時点での”第2GKとなるわけだ。谷以外の2人、若原と大迫敬介(サンフレッチェ広島)にとってイラク戦は、大きく明暗が分かれる重要な一戦だったのである。
       そして……結局、イラク戦のピッチに立ったのは大迫だった。
      同い年のライバルの存在。 若原と大迫の2人は1999年生まれで、この年代では常に正GK争いを演じるライバルだった。2人とも同世代で名前が知れ渡っており、この2人の正GK争いは過去のチームと比較してもかなりハイレベルな争いになっていた。
       今から2年前のAFC U-19選手権(バーレーン)でのこと。この時参加した代表では、若原が中村駿太(現・モンテディオ山形)とともに、最年少世代として選ばれた(試合出場なし)。だが、その若原もU-20W杯メンバーから落選。メンバー入りを目指していた大迫とともに悔しさを味わうこととなった。
       そして昨年のAFC U-19選手権予選(アジア1次予選、モンゴル)では2人揃ってメンバー入りし、初戦は背番号1を背負った大迫が出場。第2戦は若原が出たが、第3戦は再び大迫となっていた。
      「もっとGKとして成長してサコ(大迫)に負けないようにしたい。サコとはいいライバル関係だし、凄く刺激を与えてくれる存在なので、2人で成長していきたい」
       大迫とは「バチバチのライバル」(若原)であるが、共に切磋琢磨をする心通った仲間でもあったのだ。


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      掲載元:サッカー日本代表 - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832316

      1位バルサ、2位がエスパニョール!?新監督が選手の劣等感を消した方法。

       昨年の夏、エスパニョールの当時の監督キケ・サンチェス・フローレスは腹を立てつつ頭を抱えていた。望みどおりの補強が行なわれなかったからである。
       果たしてチームは苦しいシーズンを送り、監督と選手の関係は悪化の一途をたどった。終盤に入って勝ち星がつかなくなると、キケの口からは「このチームじゃどうしようもない」という言葉さえ発せられた。
       あれから数カ月。エスパニョールは5割超の勝率をもって今季序盤に旋風を巻き起こし、第9節を終えたところでバルセロナに次ぐ2位につけている。
       躍進の要因は、1年前の失敗を反省して補強に全力を注いだから――ではない。
       たしかにクラブ史上最高額1000万ユーロ(約13億円)を費やし昨季2部で得点ランク上位のボルハ・イグレシアスを獲得してはいる。元ベネズエラ代表の右SBロサレスもレンタルで獲得した。
       が、一方でエースのヘラルド・モレノや左SBアーロン・マルティン、右SBマルク・ナバーロを売却しており、MFホセ・マヌエル・フラードやGKパウ・ロペスもチームを去っている。つまり、戦力は「どうしようもない」頃より、むしろ落ちている。
      バルサの監督候補に挙がった男。 ならば、この僅かな期間にエスパニョールに何が起きたのか。
       もう1人の新加入組、ジョアン・フランセスク・フェレール監督――通称ルビが素晴らしい手腕を振るっているのだ。
       ルビは昨季、年間予算では2部22チーム中18番目だったウエスカで1部昇格を成し遂げ脚光を浴びたが、頭角を現したのは初めて2部で監督を務めた2012-13シーズンだ。
       前年まで残留争いの常連だったジローナを昇格プレーオフ決勝戦まで導いたばかりか、その手段が「スコアはどうあれ1点でも多くとりにいく」パスサッカーだったため、バルサの監督候補にさえ挙げられた(実際2013-14シーズンは、故ビラノバとマルティーノのアシスタントコーチに就いている)。
       その後バジャドリーでも昇格プレーオフを経験。2015-16シーズンにはレバンテでリリーフ登板ながら1部デビューを果たすも、「昇格」や「残留」といった明瞭な目標をクリアできなかったため、即物的に評価を下すクラブやメディアからは軽んじられてきた。


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      掲載元:海外サッカー - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832296

      モウリーニョは時代遅れではない。マンUの停滞は采配以外の面にも。

       ジョゼ・モウリーニョが、新進気鋭のCL優勝監督としてプレミアリーグに現れたのは14年前。就任1年目にしてチェルシーに半世紀ぶりのリーグ優勝をもたらし、続いてクラブ史上初のプレミア2連覇を達成。それによって「スペシャル・ワン」の自称は“イングランド公認”となった。
       それが、マンチェスター・ユナイテッドを率いる今では、「もはやスペシャルではない」とのフレーズが、国内各紙や試合会場で囁かれている。
       識者の見方も冷たい。
       クラブOBのポール・スコールズは、マンUを「もしメッシでさえ、移籍してきたら精彩を欠くのではというチームにしてしまった」と断言。元チェルシーのDFロベルト・フートは「時代の流れに追いつく必要がある」と指摘。モウリーニョに対する厳しい意見が後を絶たない状況だ。
      かつての古巣から「失せろ!」。 確かに、「10年ひと昔」とは言う。
       しかし、11年前にいったんイングランドを去ったモウリーニョは、続くイタリアでインテルをセリエA連覇とCL優勝に導いている。欧州制覇の過程では、16強でカルロ・アンチェロッティ率いるチェルシーを下し(計3-1)、改めてイングランドのメディアを唸らせた。復帰を果たしたチェルシーで自身3度目のプレミア優勝を実現したのは、わずか3年前のことだ。
       リアルタイムで物事が進む今日では、それもすでに「昔」なのだろう。
       2015年12月、モウリーニョが再びチェルシーを去った直後のホームゲームでのこと。スタンフォードブリッジには、事実上の解任に追いやった「暗躍者」と噂されたエデン・アザールら主力を責める横断幕が張られ、彼ら選手へのブーイングが聞かれた。
       だが翌シーズンにマンU新監督として舞い戻ると、モウリーニョに対して裏切り者を意味する「ジューダス(ユダ)」との罵声がベンチ側の東スタンドから飛んだ。
       そして去る10月20日のプレミア第9節(2-2)、通算4度目の「旧ホーム訪問」ともなると、合唱ほどではないが“Fワード”を含めた「失せろモウリーニョ!」とのチャントまで聞かれた。


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      掲載元:海外サッカー - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832312
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