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サッカーに関する移籍・引退・試合結果など

      J1あと一歩まで迫ったロティーナ。ヴェルディを去る智将に見た教養。

       ロティーナ監督がベンチの前を落ち着かない様子でうろうろしている。戦況は芳しくなかった。
       12月8日、J1参入プレーオフ決定戦。41分、東京ヴェルディはジュビロ磐田にペナルティキックで先制を許す。誤算だったに違いない。2017年、ロティーナ監督の就任以降、チームはリスク管理が徹底され、被PKは2年間でたったの1回。2回目がよりによってこのタイミングで訪れた。
       後半、ロティーナ監督は立て続けに交代カードを切り、反転攻勢を試みる。だが、流れを大きく変えることができない。
       両チームの違いは明白だった。山田大記、大久保嘉人、田口泰士、アダイウトン、磐田の選手たちは名札の付いたプレーをしていた。日本代表キャリアの肩書きや、知名度の問題ではない。誰が見ても、プレーの固有性がわかるということだ。全国的には無名の右サイドバック、小川大貴もそのひとりである。
       80分、田口の直接フリーキックで追加点を奪われ、東京Vは力尽きた。シュート数は磐田の13本に対し、東京Vは2本。完敗だった。
      「J1に上げる夢は……」 明けて9日、東京Vはロティーナ監督とイバンコーチの退任を発表する。
       同日午前、クラブハウスを去るロティーナ監督は、集まったメディアを前にこう語った。
      「率直に言って、私の夢はチームをJ1に上げることでした。そのために私はイバンとともにやってきたのです。われわれがよい仕事をできる条件のひとつに、アシスタントスタッフのサポートが挙げられます。
       この2年間、彼らはとても質の高い働きを見せ、助けてくれました。また、選手たちも向上したい意欲に溢れていました。残念ながら、夢は叶えられませんでした。ただ、目標に向かう過程は美しいものだったと思います」


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      掲載元:Jリーグ - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832819

      浦和一筋で17年走り続けた平川忠亮。小野伸二、大槻コーチらとのドラマ。

       浦和レッズのみ、17年間プレーして引退する。
       移籍の選択が当たり前になったサッカー界で、ひとつのクラブで戦い続ける選手は今や貴重で、「一筋」という言葉は特別な響きがある。
       平川忠亮は出場機会を減らした2年ほど前から、引退について考えていたという。2014年に25試合を数えたリーグ戦の出場試合数は、'15年に8試合、'16年に0試合と大幅に減っていった。
       17年、浦和一筋――。それは誰かに越されていくことを受け止めなければいけないという選択でもあった。
       無論、プロフェッショナルとして勝ち残ってきた男だ。「越された」などとは決して思っておらず(あるいは受け入れず)、実際、平川には平川にしかない経験に裏打ちされた強みもある。自分が一番だという自負がなければ淘汰されてしまう、過酷な競争社会でもある。
       その長い歳月の中での葛藤は、本人にしか分かりえない。相当なストレスとも常に向き合ってきたはずだ。
       ただし、そんな平川が浦和にいたからこそ、その間に8つのタイトルを獲ることができた。
      最終節は4万人超が埼スタに。 そんな彼が浦和にとってかけがえのない存在だったと知るからこそ、最終節、4万人を超すサポーターが埼玉スタジアムに訪れた。平川を送り出そうと、2006年や2007年のユニフォームを着ている人の姿も少なくなかった。
       オズワルド・オリヴェイラ監督は、12月1日のリーグ戦最終節のFC東京戦、最後に平川を投入して、3-2の逃げ切りに成功した。そこで平川を中心にサポーターと選手・スタッフの一体感を改めて生み出し、浦和の火を改めて灯して、その後の天皇杯制覇につなげた。
       39歳まで、右サイドを疾走し続けた。試合終盤の苦しい時間帯に豪胆な攻め上がりを見せ、どこにそんなスタミナがあるのか! と驚かされたことは何度もあった。


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      掲載元:Jリーグ - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832836

      “サッカー小僧”中島翔哉が日本の「10番」になるまで。

      「あちこちのフットサルコートへ“道場破り”」
      「カバンのなかにはいつもミニサッカーボール」
      「U-17代表時代、競技場通路の人混みでドリブル」
      「プロになってからも近所の公園でシュート練」
      「A代表ベンチでも暇さえあればリフティング」
       いずれも、日本代表の新10番が残してきた逸話だ。
      『キャプテン翼』を読んで、枕元にボールを置き、学校までドリブルして、机の下でまたボールをいじる。そんな少年は全国を探せば珍しくないかもしれない。でも中学生になり、高校生になったとき、少年にその続きはあるのか。ましてやプロになっても続きをやっている選手なんているのだろうか。
       いま代表の背番号10を背負い、かつてないほどアグレッシブで魅力的なチームを引っ張っているのは、そんな漫画レベルのサッカー小僧だ。
       この類まれなキャラクターは、いったいどうやって育まれてきたのか。
      中島を作った恩師たちがズラリ! Number967号「日本代表 僕らの時代」では、中島翔哉の成長過程をさぐろうと彼ゆかりの人物を訪ねた。
       中島が小学校低学年からスクールに通い、小5のセレクションからはチーム入りした東京ヴェルディには、永田雅人氏(現日テレ・ベレーザ監督)と冨樫剛一氏(現東京V強化部ダイレクター)たち。
       前者はジュニアからジュニアユース時代、後者はユース時代の中島の指導者だ。
       またFC東京では、中島がプロとなった後にカターレ富山の監督として、直後にFC東京のコーチとしても彼を見てきた安間貴義氏(現FC東京コーチ兼U-23監督)に話を聞いた。


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      掲載元:サッカー日本代表 - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832766
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