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サッカーに関する移籍・引退・試合結果など

      梶山陽平、新潟での4カ月と引退。安田理大「俺らの10番はカジくん」

      「もういいじゃん、膝が壊れたって。やれるところだけでいいからさ。一緒にサッカーをやろうよ」
       J2アルビレックス新潟の片渕浩一郎監督が、この2カ月、リハビリに終始していた梶山陽平を練習場に引っ張り出してきたのは、先週のことだ。そして今、ホームのビッグスワンで行われる最終節・レノファ山口FC戦に向けてトレーニングするチームに、その姿がある。
      「フチさんも少しふざけるような、軽い感じで言ってくれて。もうプレーする気はなかったし、やれるかどうか不安もあったんですけど、最後、頑張ろうかな、という気持ちになりました。ありがたいっす」
       そう話す梶山は、照れくさそうで、嬉しそうだった。
       青と赤の10番として、北京オリンピックを戦うU-23日本代表の10番として。抜群の存在感を放ってきたMFが現役を引退する。選手としての終えんは、イレギュラーなものに映る。
      J3降格危機にある中で。 7月、J1のFC東京から期限付き移籍で新潟に加入した。「試合でプレーしたい」という理由が梶山にはあり、梶山と入れ替わるようにキャプテンの磯村亮太がV・ファーレン長崎に移籍した新潟には、手薄なボランチを補強したいという理由があった。
       梶山が加入した当時、新潟は混迷を極めていた。J1から降格し、15年ぶりにJ2で戦う今シーズン。新たに迎えた鈴木政一監督の下、1年でのJ1復帰を目指してスタートしたもののチームは低迷を続け、夏が訪れるころには昇格どころか、J3降格の危機が芽生え始めていた。
       梶山がベンチ入りするようになって3試合目。かつて、期限付き移籍でプレーした大分トリニータとのアウェイゲームに0-4で惨敗した第27節の後、鈴木監督は契約解除となった。チームは今季2度目の3連敗で、代わって暫定的に指揮を執るようになったのが、当時ヘッドコーチの片渕監督である。


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      掲載元:Jリーグ - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832528

      田中隼磨が完遂した松本山雅の優勝。偉大な先輩たちの言葉を胸に刻んで。

      ♪行け行け~まつもとぉ~、勝利を信じて~、蹴散らっせ、とくしまぁ~、俺らとともに~♪
       90分に刻一刻と近づきながらもスコアはゼロゼロで動かない。別カードでは大分トリニータがリードしている。このままいけば松本山雅はJ1昇格を果たせても、初の優勝には届かないという状況だった。
       スタジアムの先に見える、雲がかかる山々。こだまするようなチャントの音量に、それ以上のクレッシェンドが入った。徳島ヴォルティスがGKから左サイドにボールが出ると、背番号3が猛然ダッシュと敢然スライディングでカットしたのだ。
       タッチラインを割ってマイボールに出来なかったことがよほど悔しかったのか、田中隼磨はピッチをバンと叩いて起き上がった。一層の大拍手とチャントの大音量を呼び込み、彼らの背中をもうひと押しさせた。
      「あのスライディングですか?」 大分が追いつかれたため、結局スコアレスドローでJ2を制した。苦しい試合も、泥臭い優勝も、そして熱がこもるスタジアムの、サポーターの後押しも松本山雅らしかった。優勝が決まると田中は真っ先にゴール裏に向かい、感謝するようにサポーターへの拍手で返した。
      「あのスライディングですか? 自分が率先して姿勢を見せることでサポーターの人も熱が入るし、最後に点を取るんだっていう気持ちを何より表したかったんですよ。点を取れば(優勝が)決まると思っていたので」
       ぎっしり埋まったサンプロアルウィンスタジアム。2万人に近い来場者は、史上2番目に多かったとか。サポーターを乗せて、サポーターから乗せられて。36歳、チーム最年長の状況に応じたインサイドワークがチームを引き締め、優勝というミッションを完遂させた。


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      掲載元:Jリーグ - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832558

      川口能活がいま引退を選んだ理由。燃え尽きてはいない、次の情熱へ。

       清々しいという表現は、この日、この時、この男のため、にあるようなものだろう。
       11月14日、川口能活の現役引退会見が行われた。所属するSC相模原の呼びかけに応えて、東京はもちろん出身地の静岡のメディアなど63社の130人が会見場を埋め尽くした。
       およそ1時間の会見で、川口は「いまは感謝の気持ちしかありません」と何度も繰り返した。日本サッカーの最前線で戦い続けてきた男は、サッカー選手としての闘志を収束するタイミングを自ら見つけたのである。気持ちは澄み切っていた。
       1994年の横浜マリノス入団から、国内外の6つのクラブを渡り歩いて25年である。日本代表での国際Aマッチ出場数は歴代3位タイにしてGK最多の116試合を記録し、ワールドカップ出場は4度を数える。
       ワールドカップ本大会だけでなく、ワールドカップ予選やアジアカップ、さらには'96年のアトランタ五輪などでも活躍してきた。「川口能活」という名前とともに日本サッカーの歴史に刻印された試合は、両手でも全く足りないぐらいだ。
       かくも濃厚なキャリアに、今シーズン限りで幕を降ろすのだ。簡単な決断でも、瞬間的な決心でもなかったはずである。
      燃え尽きるという選択肢は選ばなかった。 川口も記者会見で率直な思いを明かした。
      「実はここ1、2年くらいはプレーを続けるか、あるいは引退するかの狭間で揺れていました。サッカーは大好きですし、続けたい。でも、試合に出られないときもありましたし、そのなかで辞めるか続けるかのところで揺れていた」
       フィジカルコンディションに問題を抱えていたわけではない。SC相模原に加入した'16年と翌'17年は、コンディションが整わずにシーズン開幕から出遅れた。しかし今シーズンは、FC岐阜に在籍した'15年以来の開幕スタメンをつかんでいる。
       リーグ戦出場は5試合にとどまるが、ここまで消化した29試合のうちベンチから外れたのは6試合しかない。臨戦態勢は整っていた。
       彼自身、「余力はあります」と話している。プロ入りからコンディションを第一に考え、食事や休養などに細心の注意を払ってきた。キャリアを長く続けるための“貯金”は、まだまだ尽きていない。トレーニング中の動きは、43歳となった現在もしなやかである。
      「ボロボロになるまで、燃え尽きるまでやることも、考えなかったわけではないですが……」と川口も話す。ならばなぜ、引退へ気持ちが傾いたのか。


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      掲載元:サッカー日本代表 - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832533
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