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サッカーに関する移籍・引退・試合結果など

      鹿島ACL先勝はボランチの妙にあり。三竿健斗が記した2戦目への誓い。

       ボランチ。ポルトガル語で「ハンドル」を意味する言葉だ。アントラーズの守備的MFの2人が、まさにその言葉通りに攻守の舵取り役となって、勝利を手繰り寄せた。
       11月3日、AFCチャンピオンズリーグ決勝第1戦。
       堅守速攻。相手のペルセポリスは、堅い守備から前線のアリプールとメンシャの2人を中心に、鋭いカウンターでゴールに迫るサッカーを得意としていた。
       ただ、分かってはいても普段対戦しない中東のクラブが相手、そして初めてのACL決勝という舞台に、戸惑いが生まれた。
       レオ・シルバが「決勝という舞台で誰しも緊張はあるもの。チームとしても立ち上がりに影響があった」と言えば、昌子源は慣れない相手のサッカーに「(動きが)硬かった」、安部裕葵も「相手はタイミングが違った。ディフェンスやオフェンスの仕方が違っていた」と前半の立ち上がりを振り返る。 
      大岩監督が伝えたメッセージ。 前半、チームとして相手を受けてしまったことで、勢いを与えたと考えた大岩剛監督は、ハーフタイムに1つの言葉を選手に伝えた。
      「勇気を持って守備ラインを押し上げよう」
       全体を前に押し上げることで、サイドが使えるようになる。そして、相手を横に広げられれば、中央でのコンビネーションから攻撃を仕掛けられるようになる。それは前半を終えて、ピッチで戦った選手も感じていたことだった。
      「前半から、右サイドで作れば左サイドが空くことは分かっていた。ハーフタイムに、もっとワイドにサイドを使って攻めていこうと話していた」(山本脩斗)
       ピッチを広く使うことで、後半は徐々に主導権を握り始めた。


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      掲載元:Jリーグ - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832399

      U-20W杯出場権は得たけれど……。サウジに完敗、有望株に見た甘さ。

       世界への切符を掴み獲り、次なる目標は2大会連続となる「アジア制覇」に切り替わったはずだった。
       だが、U-20W杯出場を決めたインドネシア戦の次戦、準決勝のサウジアラビア戦で、その夢は潰えた。
       U-19日本代表は、安部裕葵が所属する鹿島アントラーズでACL決勝に出場するため、藤本寛也が負傷により準々決勝を最後にチームから離れることになり、残り21人の選手で戦うことになった。
       サウジアラビアとの準決勝では、影山雅永監督は準々決勝のインドネシア戦からスタメンを9人入れ替えて臨む戦略をとった。
      日本は選手も戦術も大幅に変更! この一戦、影山監督はメンバーを入れ替えただけでなく、「オプションとして持っておきたかった」と大会前から準備して、今大会でも試合終盤に用いていた3バックを、初めて試合スタートから採用した。
       GKはこれまで唯一出番がなかった若原智哉を起用。最終ラインには橋岡大樹、瀬古歩夢、三國ケネディエブスと高さのある3枚を並べ、右に石原広教、左に荻原拓也のウィングバックを配置。ダブルボランチを山田康太と伊藤洋輝、前線は田川亨介を頂点に、右に原大智、左に滝裕太を並べる3-4-3の布陣を敷いた。
       しかし立ち上がりから、サウジアラビアのスピードに乗った攻撃の前に守勢に回る時間が続いた。
       日本は守備時5バックになって裏への飛び出しをケア。3トップの両サイドがハーフの位置まで下がって、5-4-1の形でサウジアラビアのアタッカー陣を封じにかかった。
       サウジアラビアは勝ち上がりを見ると、中盤でボールを繋ぐことはできるが、最終ラインの突破は個の能力頼みで、シンプルに裏を狙ってくることが多いことを予測しての対応だった。


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      掲載元:サッカー日本代表 - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832400

      もし川口能活が登場しなかったら。日本サッカーを変えた男の引退。

       日本サッカーの潮流を変えた男が、今シーズン限りでキャリアに幕を降ろすこととなった。日本代表として4度のワールドカップに出場した川口能活が、11月4日に現役引退を発表したのである。
       プレーは革新的だった。
       GKに対する理解がいまよりもっと乏しかったJリーグ黎明期に、川口はそれまで知られていなかったこのポジションの本質を提示していった。GKはシュートストップだけでなくポジショニングやコーチングが大事であり、空中を舞うセービングはあくまでも最終手段に過ぎないといったことを、ひとつひとつのプレーを通して啓蒙していったのである。
       攻撃の起点となるプレーも、つねに意識していた。キックの精度は抜群で、日本代表では中田英寿と、横浜F・マリノスでは中村俊輔とのイメージの共有は印象深い。フィールドプレーヤーとしての感覚に優れ、素早い攻守の切り替えを実現した。
       フォトジェニックでもあった。フィールドプレーヤーにカベの位置を指示するGKがテレビ中継で抜かれるようになったのは、1996年のアトランタ五輪における川口がきっかけだったはずだ。眼光鋭くシュートに対峙するその姿は、女性ファンはもちろんサッカー少年をも惹きつけた。彼に憧れてGKを志し、Jリーガーや日本代表まで登り詰めた選手は少なくない。
      川口が登場しなかったら……。 川口能活という選手が登場しなかったら、日本におけるGKへの理解は進まず、広がりも持てなかっただろう。その結果として、GK人口も停滞していたに違いない。日本サッカーの潮流を変えたとは、そういう意味である。
       先進的だったのは、プレースタイルだけではない。日本人GKとして初めて海を渡った。ドイツと並ぶGKファクトリーと呼ばれていたイングランドへ、2002年の日韓ワールドカップを前に乗り込んだ。


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      掲載元:サッカー日本代表 - Number Web
      URL:https://number.bunshun.jp/articles/-/832410
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